土器を観る眼2
土器資料を扱う上で大切な点は、時には数万点を超えて遺跡から出土する土器の破片を、うまく整理することです。熟練した考古学者は、手のひら程度の焼き物の破片が出土すると、それで時期や産地を特定できます。たとえば、天然呉須の染付が出土すれば、江戸時代、高台や文様の特徴から有田焼といったように。こうした特殊な観察眼に、「どうして破片からわかるのだろう?」と疑問を持つ方も多いと思います。外国の考古学では、時期は放射性炭素14年代などの年代測定法を利用することや産地同定として成分分析をおこなって特定することもよくあります。日本考古学では、土器の特徴をしっかりと肉眼で確かめることを優先してきたことので、理化学的分析を用いないこともしばしばあります。それでは、どういった観察と知識によって、土器から情報を引き出しているのでしょうか。
土器は、焼成方法、機能や用途をあらわす器形、時期や地域、工房といった特徴が反映した細部形状や文様など、さまざまな特徴を持っています。それぞれの情報を整理整頓していけば、破片から得ることができる情報が多くなります。
まず、土器がどう焼成されたのかといった点を観察します。釉の特徴、土器の硬さや色調、黒斑の有無といったことが観察のポイントです。ここから焼成の特徴がわかります。たとえば、黒斑は焼成中に温度が上がらずに炭素が吸着した部分で、窯のなかで焼成されていないことがわかります。
焼成方法は製作された時代を知るうえで、最も基本的な情報です。地面を浅く掘りくぼめ、薪などとともに焼成しはじめて、つくられたのが縄文土器です。弥生土器になると、稲作で得られた藁も薪に加えて用いるようになり、温度が高くなって、黄褐色から赤褐色に発色するようになりました。縄文土器も弥生土器も黒斑がついています。4世紀末から5世紀初頭に韓半島から焼成技術がもたらされた須恵器は、トンネル状の窟窯(あながま)で生産されました。1000℃を超え、還元焔焼成でつくられた灰色から灰白色の焼き物です。高温で焼成され、須恵器には黒斑がついていません。平安時代には、鉛釉を施した緑釉単彩陶器、草木灰を用いた灰釉陶器など、施釉陶器の生産が本格化していきます。また、表面に炭素を吸着させた黒色土器、瓦のように燻した瓦器も平安時代には流行します。このように、焼成方法は焼成技術の発展によって焼き物の生産を大きく変えてきたので、大まかな時代を把握するには最も適した見分け方になります。こうした焼成方法の違いから土器を区分するとき、「器質(きしつ)」という言葉を使うことにしましょう。
ただ、遺跡から出土する土器は、年代だけではなく、当時の生活を教えてくれます。そこで次に土器がどのように使われたのかといった点に注目していきます。
土器は、出土した時には破片の状態であることが多いですが、それを接合していくと、全体の形に復元できることがあります。また、古墳や祭祀遺跡などを調査すると、奇跡的に完全な形をのこしたまま、土器が出土することもあります。土器の全体形を観察していくと、大容量の液体を湛えるために使用されたもの、食事の際にとりわける食器といった用途や機能を推測することが可能です。もちろん、用途が土器に文字として記されていたり、絵図などでわかったりすると、それは考古学者にとって本当にありがたいのですが、現実はあまくありません。器の形から推測をしていくことになります。
推測が推定に近づいてきて、確かめられていくと用途と機能が確定していきます。貯蔵用の壺、食器としての椀といった使用用途を反映する器の形を「形式(けいしき、かたちしき、Form)」あるいは器種(きしゅ)として分類していきます。この形式こそが、当時の食卓や道具の種類を推測する手掛かりになるものです。
さらに、細かく観察をしていくと同じ壺でも、口のところ(口縁部といいます)や胴部の形状が微妙に異なっていたり、土器の表面の仕上げ方(調整といいます)が違っていたりすることに気づきます。こうした違いは、同じ時代の中でもつくられた時期が異なっていること、同じ時期でも産地や製作工房が違っていることを示していることが多いです。そのため、考古学では、それぞれの形式ごとに変遷の単位となる型式(けいしき、かたしき Type)を設定するといった手続きを踏みます。
破片となって出土した土器を観察して、のこされた部位からおおまかなサイズを想定し、「形式」を把握し、さらに部分を観察して、同じ口縁部形状の土器が出土した遺跡を調べ、あるいは同じつくり方をしている土器を違う遺跡の出土例に求めていきます。日本考古学では、時代や地域ごとに、土器の図面ばかりを集成したカタログ(「集成本」などと読んでいます。たとえば、『奈良県の弥生土器集成 本文編・資料編』など)がしっかりそなわっています。こうした集成本の多くはインターネットでも公開されておらず、大学の図書館にもなかったりします。しかし、大学の考古学研究室にはこうした本がそろっています。もちろん、考古学者の家や職場にも。こうした「秘本(といっても公開できていないだけなのですが)」を手にすることができれば、出土した土器の仲間探しが楽になります。同じ型式を探して、相対的な年代や詳細な産地を特定できるのです。
土器は遺跡から膨大な数が出土するので、1片1片の土器だけではなく、総体としての特徴を把握していく必要があります。私たちがふだん使っている食器にも、ごはん用、おかず用、とりわけ皿といったいくつかの形式、器種があって、食器だけでなく、鍋やフライパンといった調理道具もあります。そして、昭和の食卓、平成の食卓、令和の食卓で、使用している食器のデザインや種類、調理の道具に変化があるように、古代でも時代によって変遷を遂げます。そして、食器1つ1つに時期的な差をみつけることもできますが、食卓全体の変化を見比べたほうが、時代背景がよくわかったりします。
日本の古代では、貯蔵用の壺や甕、食器としての皿や椀(わん)、杯(つき)、鉢(はち)、調理用土器としての甕(かめ)や鍋などの形式があります。それぞれが時間の経過とともに細部の形状や土器製作の技法が変化するので、その単位を型式として把握していくことができます。そして、私たちが使っている日常の道具は、無意識のうちに、時代性や地域性、場合によっては階層性や個人の趣味嗜好が反映しているように、過去においても様々な観点でまとめることができます。これを「様式(ようしき Style, Mode, Horizon)」と呼んでいます。様式は、ただ土器を仕分けていくといった視点ではなく、むしろ、個々の土器形式や型式に通底する特徴をまとめていくという思考になります。土器から時代や地域の特質を見極めていく、この考え方を様式論といいます。
このウェブサイトでは、これまでともすれば、土師器と須恵器といった異なった器質それぞれの研究状況を概観するとともに、様式的な特徴についても述べていきたいと思います。