日本古代 土器の基礎知識

須恵器の変遷

 須恵器の編年研究は、発掘調査事例の増加とともに1950年代後半から60年代にかけて大枠ができあがりました。そして、1980年代には、現在まで使い続けられる編年が確立します。その後の須恵器編年研究は、最古の須恵器を追求した研究が盛んになります。これは窯焼きの焼き物がいつ導入されるのかといった関心、また須恵器導入のきっかけとなった東アジア情勢を知りたい、ということが大切であったからです。1980年代後半から1990年代前半では、大阪府堺市大庭寺遺跡や小阪遺跡、伏尾遺跡の調査がなされ、ここから出土した須恵器の編年と韓半島南部での系譜追求作業が進みました。そして、編年研究が充実していきました。

 須恵器の編年は、大阪府陶邑すえむら窯跡群における代表的な窯跡出土遺物を標式として名付けられた型式期であらわされます。古墳時代中期はTG232期、TK73期、TK216期、TK208期、TK23・47期と5期に大別でき、さらに細分が可能です。なお、TGとは陶邑窯におけるとが地区、TKは高蔵地区、ONは大野池おおのいけ地区の略称となる。

古墳時代後期(6~7世紀)にも土師器と須恵器が使用されますが、とくに須恵器の種類に変化が明瞭となります。須恵器型式でいうMT15期、TK10期、MT85期、TK43期、TK209期の5期が後期に該当し、TK209期以降は飛鳥時代の土器となります。

 古墳時代後期には、装飾付器台・台付壺、?、杯身・杯蓋、長脚化した高杯などの比率が高まり、須恵器の儀器化が一層進展しました。その変化の要因は、韓半島南西部から横穴式石室という新しいタイプの埋葬施設が導入されたのに伴って、これらの須恵器に飲食物を入れて石室内に供献する新しい葬送儀礼が普及したことが考えられています。