貯蔵する器としての須恵器とその焼成方法
須恵器の主用途は貯蔵
このウェブサイトの「須恵器という焼き物」では、初期の須恵器生産では、甕や壺といった貯蔵器種が主につくられたということをおはなししました。最初期の須恵器窯である大阪府堺市の大庭寺遺跡でみつかったTG232号がまさにその事例です。2024年に発掘された大阪府枚方市の茄子作窯でも生産内容のほとんどが須恵器の甕であったことがわかっています。
壺や甕といった器種は、1m程度の高さを持っているものもあり、大容量の液体や穀物などを保管し、蓄えるという用途を主としていたために、貯蔵器と呼び分けられます。20㎝から30㎝程度の器高の壺などは運搬といった用途も考えられますが、須恵器の窯では大きな甕がまず据え置かれて、その間に小さな壺やそのほかの器種が詰められていました。したがって、生産の主眼は、大型の貯蔵器にあったとみてよいでしょう。
そして、この貯蔵器が他の器種と比較しても非常に多く焼成されていた事実から、韓半島南部から土器製作技術と窖窯焼成技術とを受容した目的は、貯蔵機能の拡張であったと理解することが穏当です。開窯期以降、つまり西暦5世紀代の須恵器生産においては、貯蔵器はもとより、杯身・杯蓋といった供膳器をはじめ多種多様の器種が製作されます。しかし、須恵器生産が列島各地に展開・定着する6世紀代、それ以降の律令期から平安時代にいたるまで、貯蔵器の生産は通時代的にみても、また全国的にみても重要な位置を占めているものだと想定できます。
須恵器は、丘陵の斜面を利用して造るトンネル状の窯、いわゆる「窖窯」を用いて焼成されます。最初に、外の空気を取り込むように焼き上げ(これを酸化焔焼成といいます)、窯の中の温度を充分に上昇させた後、次に窯の焚き口を塞ぐことで還元焔焼成にもちこみ、さらに窯の中の温度を上昇させていきます。その温度は1100度にも及びます。
このように、高温で密閉された空間の中(窯の内部)という条件下で焼かれた須恵器の色は、密閉されたことに加えて、空気の遮断されることによって、酸素が少なくなり、還元という化学反応に伴って青灰色・灰色となります。こうして、酸化焔焼成でつくられた弥生土器や土師器とは異なる焼き色を生じます。
また、胎土中にある鉱物が高温によって溶け出し、互いに密着することで、多孔質ではなく緻密で硬質な器壁という特徴をもった土器が焼き上がります。
須恵器は、このような性質を有していることから、保水性・硬度に優れています。液体をたたえても水が漏ることはないため、液体を貯蔵して保存するには最適な土器といえるでしょう。
わたしたちが普段の生活の中で使用しているコップ、お茶碗、お皿といった陶器・磁器もまた、窯を用いて焼成されています。時代によって窯の構造や燃焼方法は異なり、古くは燃料である薪を投下して温度を上昇させ土器を焼きましたが、近代技術の革新に伴って重油窯、ガス窯、電気窯というように固形燃料から液体燃料へ、そして電気を用いた燃料へと、窯の構造と燃料とを変化させながら進化してきました。しかしながら、窯で「器」を焼くということ自体は現代においても変わることはありません。窯を用いて焼成した器という視点でみれば、私たちの生活に欠かすことのできない陶器・磁器の源流は、およそ1600年前の須恵器に求めることができるのです。
文責:高島悠希